そもそもヨガって?経典「ヨーガ・スートラ」におけるヨーガの定義を見てみよう!

ヨガとは?この問いに一言で答えるのはとても難しいことです。さらに昨今は世界中でヨガは多様化しており、そのスタイルも百花繚乱。一概にあれはヨガじゃない、これこそヨガだとは言えない時代になっています。それぞれのヨガがあっていいと思いますが、多様化する今だからこそ伝統的で世界中で最も読まれているであろうヨガの基本テキスト「ヨーガ・スートラ」にヨガの定義を見てみましょう。

ヨーガ・スートラとは?

「ヨーガ・スートラ」とは紀元前3世紀頃~6世紀頃までに成立したとされるヨーガについて理論的に解説した最古のテキストです。編纂者はパタンジャリとされ、口頭伝承で伝わっていた教えを集め、まとめ、サンスクリット語で書き記しました。パタンジャリについて正確に分かっていることはほとんどなく、成立年にもとても幅があります。インド哲学のうち、ヴェーダの流れを汲む6つの学派(六派哲学)のひとつ、サーンキヤ哲学と対をなす、サーンキヤ哲学の実践編であるヨーガ哲学を説明する基本テキストです。

スートラとは糸を意味する言葉で、短い文章が何本も糸のようにあり、それらが集められた文献です。スートラ文献は短い文章の中にいくつもの意味が込められ、端的に表現されており美しく普遍的な性質をもっています。

「ヨーガ・スートラ」は195句の短いスートラ文から成り立っており、4章に分かれています。(流派によっては196句)

もともと口伝だったため、文章は短く、その真意を知るのは容易ではありません。それはもともと師匠から弟子へ解釈と共に教えられていたことだからです。本文だけを読んでひとりで意味を理解するのは難しいでしょう。故に「ヨーガ・スートラ」には、その成立以降、現代に至るまで様々な注釈書が書かれています。

「ヨーガ・スートラ」におけるヨーガの定義

パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」の特徴として、一番大事なことは最初に示されます。

1章1節 これよりヨーガを解説しようATHA YOGANUSASANAM. / アタ ヨーガーヌ シャーサナム)で、プロローグが始まり、

1章2節 ヨーガとは心の作用を止滅することである(YOGAS CHITTA VRTTI NIRODHAH.  / ヨーガス チッタ ヴルッティ ニローダハ)と1章2節目で、ヨーガの定義が述べられます。そしてこのあと、これに続く様々な説明が繰り広げられていくという構成になっています。

さて、このとおり「ヨーガ・スートラ」では「ヨーガ=心の作用を止滅すること」と定義しています。
では、「心の作用を止滅する」とはいったいどういうことでしょう?

「心の作用を止滅する」とは?

もし今お時間がありましたら、少しの間だけ目を閉じて静かにしてみて下さい。
そして、今、「目を閉じて静かにしている自分」をしばらく客観的に観察してみましょう。

今、どのようなことが頭に浮かんできますか?
様々な思いや考え、感覚が浮かんでくるかもしれません。
それをひとつひとつ手放して、頭の中を静かにしていきましょう。。。。

・・・・・・・・いかがでしょうか?
静かになった時を味わえた方もいらっしゃったかもしれません。
しかし、そんな時間も束の間、気がつくとまた何かを考えていたり、過去や未来へ心が持って行かれてしまってはいませんでしたか?

静かにしようと思えば思うほど、静かにしようという声が頭の中で鳴り響いたり、いかに多くの思いや考えが忙しく頭の中を巡っているかに気づいて、驚かれた方もいたかもしれません。

でも心にとっては、それは当然のことなのです。なぜならそれが心の仕事だからです。

心(チッタ)とは? 

心とは日本人の感覚からすると、目に見えないもので気分や思い、考えが生まれるところ、そしてその場所は、ある人は脳だと言ったり、あるいは心臓、もしくは胸の中のどこかにあるものと感じたりしているかもしれません。

インドのサーンキヤ哲学においての心とは、目には見えないけれど、立派な1器官として数えます。

そして心を3つに分類して考えます。
「ヨーガ・スートラ」の1章2節に出てくる「心」と和訳されているものは、サンスクリット語では「チッタ」と書かれています。

「チッタ」とは心の総体で、「マナス」「アハンカーラ」「ブッディ」の3つのレベルを内包しています。

・「マナス(意)」とは知覚中枢

 暑い、寒い、美味しい、美しい、痛いなど感覚器官を通じて入ってきた情報を感じる心です。目に映ったもの、耳に聞こえたもの、五感を通じて入ってきた情報に心が伴って初めて経験になります。

・「アハンカーラ(我慢)」とは自我意識、私だと感じる心

 自分を自分だと感じ、他者と区別する心です。そこから自分にとっての好き嫌いが出てきたり、自分はこういう人間だと思ったり、こういう人間になりたい、あるいはこうあるべき、こうしたいといった気持ちが出てきます。向上心にもつながりますが、自分を自分で縛り苦しめることもあります。

・「ブッディ(覚)」とは識別知

 物事を判断する知性です。磨くことでその場の感情に振り回されるのではなく、一歩引いて理性的に物事を考えることができるようになります。

例えば、

「マナス」何かむこうでいやな音がしたぞ(知覚情報をキャッチ)
「ブッディ」ガラスが割れた音みたいだ(何の音か判断)
「アハンカーラ」私の大事にしていたガラスが割れたなら悲しい(自分のものという感覚から生まれる気持ち)

実際はこれら3つの働きが一瞬で立て続けに起きて、私たちがその境目を感じる暇はありません。
ガラスが割れたことを知覚し、瞬時に悲しいと思ったり、誰が割ったのかと考えて怒りの気持ちが出てきたりするのは、実はこれまで自分が経験してきたことからくる考え方の癖によるものです。

ガラスが割れたからといって、必ずしも悲しんだり怒ったりする必要は本当はないのです。
ガラスが割れたというのは事実であり、変えられません。

しかしそれに対して自分がどう思い、どういう態度をとるか、どう対処するのかは、自分で選ぶことができるのです。
癖によって反射的に思ってしまうこと、取ってしまう態度を選択するには心の作用、働きのスピードをスローダウンさせていく必要があります。

3つの心の働きの連係プレーをゆっくりにすることで、自分が取りたい態度を選ぶことができます。
何かが起きたときに悲しんでいつまでもくよくよしたり、誰かに当たり散らして後で自己嫌悪におちいることがパターンなら、そこから抜け出すことができるのです。

そして、最終的には「止滅する」、それがヨーガのゴールであると「ヨーガ・スートラ」は定義しているのです。

心の働きのスピードをだんだんとゆっくりにしていき、最後は止滅、その過程と結果がヨーガなのです。 

心の働きをスローダウンさせる?八支則のヨーガ

心の働きをスローダウンさせることが必要だということは分かりました。
しかし、最初に少し目を閉じて静かな時間をもったときのことを思い出して下さい。

心は常に何か情報を求めキャッチし、すぐに思考は高速回転を始めます。
そこで「ヨーガ・スートラ」では、心の働きをスローダウンさせていくための方法をいくつか提示してくれています。

例えば、2章サーダナ・パダ(実修部門)で登場する「アシュターンガ・ヨーガ(八支則のヨーガ)」です。

  1. ヤマ(日常、対人関係の中で慎むべきこと)
  2. ニヤマ(日常、自分自身で行っていくべきこと)
  3. アーサナ(坐法)快適で安定したものでなければならない
  4. プラーナーヤーマ(調気法)
  5. プラティヤハーラ(制感)感覚の制御、コントロール
  6. ダーラナー(集中)
  7. ディヤーナ(瞑想)
  8. サマーディ(三昧)

これら8つの過程を、はしごを登るように段階的に修めていくことで、常時心の作用が止滅した状態=悟りに至れるといいます。

最初の4つの段階(ヤマ・二ヤマ・アーサナ・プラーナーヤーマ)で心と体を整え安定させ、心の作用をスローダウンさせることを可能にし、プラティヤハーラの段階で感覚(マナス)を制御、コントロールしていき、ブッディ(識別知)により別の行動パターンも選択できるようになります(アハンカーラ(自我)が収められている状態)。

そのあとの3つの段階はより高次の段階で、あちこちに飛んでいたチッタ(心)を1点に結びつけて(集中)、瞑想を通じてサマーディ(心の作用が止滅した状態)へ到達する段階です。

止滅という表現はなんだか心が死んだかのような印象を受けるかもしれませんが、感覚や感情がなくなったり死んだりするわけではなく、より高次の状態にあり、悲しみも喜びもありますが、それに振り回されることがない状態であり、実際サマーディに至った聖者たちは至福そのものであるといいます。

1章3節 そのとき、見るもの(本当の自己)は、自己本来の状態に安住するTADA DRASHTUH SVARUPE 'VASTHANAM. / タダー ドラシュトゥフ スヴァルーぺー ヴァスターナム)でその点についても説明がされています。

まとめ

 古典「ヨーガ・スートラ」におけるヨーガとは、常に外へ向かう感覚を収め、心の作用のスピードを緩めて静かにしていくことでした。そしてそうすれば幸せになれるよといいます。

沢山の情報が溢れかえっている現代、幸せはどこか外の世界にあるのではなくて、自分の内側にもうすでにあるよと教えてくれているのかもしれません。

肩こりや腰痛などの身体の不調を感じ、自分で自分を整えることができたらと思いヨガを始める。
続けていくうちに、ヨガは身体を整えてくれるだけでなく、精神的にもストレスを緩和し、静かで安定した自由な心をもたらしてくれることを実感。現在も様々な場でヨガを学び続けている。
自身が主催するヨガクラスでは、自分自身の内側への気づきを大切にしながら、それぞれの方が何かしらのヨガの恩恵を感じてもらえるよう心掛けている。

全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクター(RYT200)
ヨギー・インスティテュート認定ヨガインストラクター(YIC200)